こんにちは、株式会社ジーエル 就労移行支援事業部天王寺オフィス 利用者のかしこいゴリラです。
今回は私が天王寺オフィスに来るまでの経緯ときっかけを書こうと思います。
今までの経歴
まず、私は大学を卒業してから7年ほどメディア関連の企画業務の仕事をしていました。その会社が経営不振で私が辞めることになりフリーターとして何件かアルバイトを経験しました。
でも、色んな仕事をしても長続きしませんでした。そんな時親しい人に「もしかして発達障害なんじゃない?」と言われ障害者手帳を取り天王寺オフィスのチラシを見つけ通所することを決めました。
簡単にまとめるとこんな感じですが、ここに行き着くまでに私はとても生きづらかったです。
付き合いにくいのって誰のせい?
私は子供のころから落ち着きがなく、周りの子供と比べておっちょこちょいで感情の起伏が激しく、人との距離感をつかめない少し変な子供でした。
でも、私自身はあまりそのことに気づいてなかったと思います。精神年齢は低いですが何人かは親しい友達もいたし困っていることに気づかなかったからです。
進路を決めるとき「行けるとこならなんでもいいや」って思って行き当たりばったりで学校や仕事先を決めて、そこでの人間関係も「向こうから近づいてこないから自分も適当に接するようにしよう」って感じで過ごしてました。
でも、今考えてみるとそれはとても過ごしにくい事だったのです。
進路を決めるときに苦労したのは具体的に何をしたいのか言葉にできないから志望動機や面接対応ができないという事です。
それを「なんでもいいや」って思って勘違いして努力の仕方を分からないまま過ごして、やっと受かった仕事先の人間関係でも何を話していいか相手の気持ちを考えることが出来ないので、相手が悪いと思って良い対応が出来ず長続きできませんでした。
7年続けられた仕事先でも人間関係はすべてが良好とは言えませんでした。
でも、それが発達障害のせいだってことに自分では気づくことが出来ませんでした。
親しい人に病院に行こうって言われた時も、初めはその相手に対して怒りをぶつけました。心配して言ってくれていることに気づいてなかったからです。
発達障害の診断が出てはじめはショックでしたが、色々考えることが出来ました。
そして、自分の間違っている部分を直すために就労移行支援施設に行くという選択をして天王寺オフィスに通うことにしました。
バナナをおいしく食べる方法を見つけれるかも!?
バナナを食べるとき、まずかったら「腐っている」と決めつけて考えて食べなかった(仕事をすぐ辞めてしまったり人間関係を崩してしまった)。これが今までの私だと思います。でももしかしたら皮ごと食べていたり、加熱用のバナナを生のまま食べていたのかもしれません。
物事を正しくとらえることが苦手な人がいたら一度考え直すきっかけがあったらとてもラッキーです。私はそれが30歳過ぎの時でしたが、まだ遅くないと思っています。
もし、生きにくいと考える人がいたらその中の選択肢として病院に行く、天王寺オフィスに見学に来るという選択をしてみるのはいかがでしょうか?
もしかしたら正しいバナナの食べ方がわかるかもしれません。
コメント
私も母に病院に行こうと言われた時は反発しました。気持ちはとても分かります。
>ぽんちゃん様
ご連絡ありがとうございます。
自分の気持ちの持ち方が分かるまでは喧嘩も多く疲れていました。
でも今は対処法等もわかり落ち着いています。