発達障害で悩んでいる人へ。当事者より。
こんにちは、株式会社ジーエル 就労移行支援事業部 天王寺オフィス利用者のきんちゃんです。
今日は、今さらなのですが、私がどうして 就労移行支援事業部 天王寺オフィスに通うことになったのか、きっかけから通所にいたるまでをブログでお伝えしようと思います。
このことは、ずっとずっと記事にしたかったのですが、訓練や就職活動であわただしかったので、ようやく時間を作れた今お話ししようと思い立ちました。
障害に気付く前の人生
私は、ADHDの障害があります。 個人の特性は不注意と、頭の中に次々と考えが浮かんでしまい、要領よく考えをまとめられないことです。
それが生まれつきの障害だと判明したのはなんと40代になってからでした。
20~30代までは芸術系短大を卒業後、なんとなく実家のそばの企業で働いていました。
大好きなアートやサブカルチャー三昧の日々を送り、状況の流れに身を任せて
「出来ることは一生懸命、出来ないことはなんとか出来るまでひたすら努力」
というスタンスで生きてきました。
生き辛さは感じていたものの、なんとか1日1日をヘトヘトになりながらもやり過ごしていました。
それまで奇跡的にものすごいピンチに陥ることはなく、自分に障害があることにさえ気づかずに「おっちょこちょいでおっとりしてるけど、たまにものすごく焦ってるね」
なんてよく言われていました。
漠然とした不安
でも、ずっと心の中にあったのは
「私、このままでいいのかな…?」
という漠然とした不安でした。
誰でも出来る簡単な事務作業なのに、ヘトヘトになりながら仕事して…
それでも誰よりも頑張って…
でもミスばかり気になって、業務で素晴らしい提案を考えついても声を上げる余裕もない。
そんなこんなでキャリアアップも見込めそうにない。
この頑張りの先に何があるのだろうか。
そう悩んでいました。
そして34歳のとき、結婚をして実家を出ることになったのです。
自立がきっかけで大きく挫折
結婚するなら、自立するどころか、これからは他人の人生まで何かあったら責任を負わないといけない。今の私のままでは人生の荒波を乗り越えていけないかも…!!
そこから一念発起して、ものづくりのスペシャリストともいえる歯科技工士の免許を取り、専門職で働き始めました。
努力の結果、正社員で資格を活かした就職という第一の目標はまず成功しました。
夢に向けてやる気いっぱい、医療に携わるという誇りもあり、最初の1年はがむしゃらに働きました。
これが悪夢の始まりであり、漠然とした不安から抜け出すチャンスでもあったのです。
なにもかも上手くいかない
今までは失敗しつつも努力でなんとか役割を果たしていた「働く」という行為が、ミクロン単位で失敗の許されない精密な作業の中では何ともならない。
訳が分からず、ミスをしまくる私はただただサービス残業で失敗をカバーする他ありませんでした。
技工で失敗した分、比較的得意な外回り業務なども引き受け、頑張れば頑張るほどキャパオーバーに陥っていきました。
殺伐とした環境の中でもスタッフ間の関係は奇跡的に良好でしたが、要領の悪い私は経営者に毎日注意を受けていました。
「あらゆる努力をしているのに、どうして失敗ばかりするのか。」
手を尽くしても答えは出ず、仕事へのプレッシャーで眠れなくなる日が増えて行きました。
そんな中、藁をもすがる思いでインターネット上の情報を漁っていると「大人の発達障害」 というワードがヒットしました。
問題解決への糸口?
大人の発達障害のネット記事を読んで…
もしかしたら、自分もそうなんじゃないか?
ADHDという症状での困りごとの記事を読めば読むほど、自分にあてはまる。
そう思い、当時睡眠薬を処方してもらっていたクリニックの医師に相談した所、可能性が高いということで心理テストを受けることになり、診断に至りました。
でも、だから?
原因が分かっても、完全には直せないという現実を突きつけられただけ。 これから私はどう生きていくのか?
すぐまた次の不安が押し寄せてきました。
退職から約半年かけて、もがきにもがいて自分らしく進む覚悟が出来たころ、縁あって 株式会社ジーエル 就労移行支援事業部 天王寺オフィスにたどり着きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回の記事では、どのように天王寺オフィスにめぐり逢い合えたのか、何故天王寺オフィスに通おうと思ったのか、さらに続きを書こうと思います。
ちょっと長くなりますが、とても伝えたいことを詰め込んだので、ぜひ後編もお読みいただければと思います。
私と同じように自分に不安を感じている方は、一度お問い合わせください。 ⇒株式会社ジーエル