はじめまして!
株式会社ジーエル 就労移行支援事業部 三宮オフィス スタッフの竹下です。
10月より、職業指導員として三宮オフィスに勤務させて頂いている新入社員です。
新入社員と言っても、セカンドキャリアをスタートさせた29年目の社会人ですが……
10月までは、就労継続支援A型事業所で生活支援員の職に就いておりました。
就いていたと言っても、数か月しか経験していない業界のド新人ですが……
「じゃあ、お前は一体何者やねん?お前に何が出来んねん?」
そう思われても仕方ありません。私自身もそう思っています。
しかし平成以降の「バブル崩壊」「リーマンショック」「コロナショック」全て経験しており、弊社社員の誰よりも「就労」する事の厳しさを「肌感覚」で知っているつもりです。
何ならば、産まれてすぐの「オイルショック」で実家も相当苦労しました。
もはや「不況の申し子」です。
「不幸自慢はいらないよ」
そんなお声も聞こえてきそうです。
まあ、少し長くなりますが年寄りの昔話にお付き合い下さい……
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バブル華やかなりし頃の話。
僕はデザイン学校で自動車デザインを専攻していた。
夢は業界2位のN社でSという伝統ある車種をデザインする事だ。
学生の身分ながらも好景気の恩恵を受けて、カラオケ屋のバイト店長でウン十万の月収を稼いでいた僕は、学業のデザイン以外にも「小劇団」「自主制作映画サークル」「バンド活動」などなど、大好きなサブカルチャー界隈で遊びまくって、後先考えず散財していた。
要するに、なんだか良くわからない「バブル」を謳歌していたのだ。
就職活動では、卒業前年度に自動車メーカーM社のデザイン本部長から早々に内々定を頂いていた。
憧れていたN社ではないけれど、最近のM社は相当攻めたデザインを発表していてワクワクする。
そんな、浮かれまくっていた春休みの事。
僕たち学生を教室に集め、就職担当の先生が口を開いた。
「国内自動車メーカー全社ともに、来年度デザイナー職の新卒採用は取り止めとなった。現在、内々定を貰っている者も全て白紙になる」
もう「ポカーン」である。
まず何を言っているのかが理解出来ない。
遊びに必死な「浮かれポンチ」の僕たちの耳には、「バブル崩壊」のニュースなど届いてはいないのだから。
全力で働いて、全力で遊んでいれば、お金も夢も手に入る。
昨日まではそうだった。
まあいいさ、僕には「何かあったら連絡するように」と、デザイン本部長から渡された名刺がある。
僕は最強の武器を手に、ほくそ笑みながら電話をかけた。
「〇〇は△△へ出向致しました」
電話のお姉さん、学生の僕だって知ってるよ。
それって「左遷」って言うんでしょ?
いわゆる「責任を取らされた」ってやつなんでしょ。
そんな事など言うハズもなく、僕はビジネスマナー通りに礼儀正しくお礼を言った。
そして僕は電話を終話した。
そして僕のバブルも終了した。
「お前は一体何者やねん?お前に何が出来んねん?」
僕は自動車デザイナー。文化振興に貢献して、もっともっと楽しい世の中にする!
……ハズだった。
「夢」などではなく、自然にそうなるものだと思っていた。
自分が一体何者で、自分には何が出来るのか。
僕は、そんな事は一度も考えたことなかった。
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これは私の人生における「就労」への導入部で、まだまだ「就労」の楽しさも厳しさも知らない頃の話です。
その後、紆余曲折あり「定年後は福祉業界で社会に貢献したい!」というセカンドキャリアの夢を見つけつつ、全く違う業界に身を置いていました。
そんな時に訪れたのが「コロナショック」です。
当時の勤務先もあっさりと消滅しました。
今までの私なら同じ業界への転職に固執したでしょう。
しかし定年より10年以上予定は早まりましたが「ピンチはチャンス!」とばかりに福祉業界へ転身致しました。
入社から数週間ですが、素晴らしい利用者の方々、様々な経歴を持つクセだらけの上司・先輩・同僚に囲まれ、今は毎日楽しく「就労」しています。
「お前は一体何者やねん?お前に何が出来んねん?」
貴方が「何者」なのか「何が出来る」のか一緒に探していきましょう。
我々スタッフが「何者」なのか、三宮オフィスで「何が出来る」のかもご確認下さい。
ささいな興味からで構いません。是非一度見学に来てみて下さい!
「三宮オフィス」では随時見学、体験を受け付けています。
少しお話を聞いてみたい…などでも構いません。
気軽にご連絡いただけたらと思います。
スタッフ一同お待ちしております!
お問い合わせ先
株式会社ジーエル 就労移行支援事業部
TEL:06-6634-2528
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